ジョン・ランボーが教えてくれる「個」の闘いの難しさ

いま、世間を騒がせている、 某放送局と元アナウンサーと有名タレントのトラブルの件―― 憶測で是非を問うのはナンセンスですが、週刊誌報道の中で、それが真実であろうと虚偽であろうと、気に留まることがありました。

組織に身を置く者が、組織(の管理職)に被害の報告をしたのに、適切な対応がなされないというケース。

信頼している組織にないがしろにされた――そう感じたとき、人は怒り、絶望し、虚無感に囚われます。

映画「ランボー/怒りの脱出」で、戦友を救い出した主人公( ジョン・ランボーシルベスター・スタローン)が敵地に置き去りにされた、あのシーン。

「居場所の否定」が、集団と個の軋轢につながっていく……

人的資本経営が広く説かれ、企業・団体が、従業員を外敵から守る姿勢がいっそう重視される時代になりました。パーソル総合研究所が、2024-2025人事トレンドワードに選んだ「カスハラ対策」も、その一例です。

個の側からすれば、集団(組織)の、誰に、どう相談するかが問題解決の鍵になります。いつの時代も、どんな組織でも、決定権を持たない風見鶏は保身に走り、コトナカレ主義を貫く。相談がヤブヘビになることもあるでしょう。

自助ができずに共助に頼ったのに、共助がなされなければ、公助を求めるしかない。この場合の公助は、法に基づく制裁を加害者に課すことですが、加害者と被害者が示談済みなら、もう、公助はあり得ません。 ただし、被害者が加害者ではなく、適切な対応をとらなかった組織を訴えれば、まだ、何らかの公助はあり得るでしょう。

週刊誌報道に誤りがないなら、今回の騒動の一因は、組織による共助がなく、当事者間の示談で公助を閉ざしたから、とも考えられます。

映画「ランボー」(原題「First Blood」)で、大佐(サミュエル・トラウトマン= リチャード・クレンナ)は、ジョン・ランボーが暴れる前に手を差しのべるべきでした。いや、 ワシントン州の田舎町の警察署長(ウィルフレッド・ティーズル= ブライアン・デネヒー)が、偏見を持たずに、来訪者であるジョン・ランボーの話をしっかり聞くべきでした。

映画「ランボー」の原作は、ディヴィッド・マレルの小説「First blood」。First blood(ファースト・ブラッド)は、ボクシングの試合での先制パンチのこと。つまり、「どちらが先に手を出したか」のメタファーになっています。

しかし、密室下のボクシングでは、真相はヤブの中となり、語り手によって、First Bloodのジャッジは「可変」となってしまいます。

「First blood」の邦題は「たった一人の軍隊」(早川書房刊)―― この題名も巧みです。一人だけの軍隊など存在しないのだから。

集団(組織)が、個の居場所を否定してはならない。

この、「可変」ではない、「不変」の事実を大切にしたいです。

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